第9帖 葵(あおい)源氏物語
新しき 年ともいはず 降るものは ふりぬる人の 涙なりけり 新年になったとは申しても降りそそぐものは 年古りた母の涙でございます 【第9帖 葵 あおい】 宮様の挨拶を女房が取り次いで来た。 「今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと 辛抱して…
あまたとし 今日改めし色ごろも きては涙ぞ 降るここちす 新年、左大臣の北の方の宮様が源氏に衣装を贈った。 その時の源氏の歌 〜年来も元日毎に参っては 着替えをしてきた晴着ですが それを着ると今日は涙がこぼれる心地がします。 【第9帖 葵 あおい】 宮…
あやなくも 隔てけるかな 夜を重ね さすがに馴《な》れし 中の衣を 〜どういうわけで、 今まで床をへだてて寝ていたのでしょう。 夜を重ねてすっかり馴染んでいた私たちの仲なのに 【第9帖 葵 あおい】 つれづれな源氏は西の対にばかりいて、 姫君と扁隠《へ…
亡き魂《たま》ぞ いとど悲しき 寝し床《とこ》の あくがれがたき 心ならひに 亡き葵の上と源氏の君の部屋にあった源氏の歌 〜亡くなった人の魂もますます離れがたく 悲しく思っていることだろう 二人で寝た この床を わたしも離れがたく思うのだから 【第9…
秋霧に 立ちおくれぬと 聞きしより 時雨《しぐ》るる空も いかがとぞ思ふ 葵の上を亡くした源氏からの手紙に対し 式部卿の宮の姫君(朝顔の姫君)は お悔やみの文を送る 〜霧の立つ頃、 貴方は、奥方様に先立たれなさったとお聞き致しました。 それ以来 時雨…
わきてこの 暮《くれ》こそ袖は 露けけれ 物思ふ秋は あまた経ぬれど 妻の葵上を失い悲しみに暮れる源氏 きっと気持ちをわかってくださるだろうと、 式部卿の朝顔の姫君に送った歌 〜とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております 今までにも物思いのする…
今も見て なかなか袖を 濡らすかな 垣《かき》ほあれにし やまと撫子 源氏の君のお見舞いに対しての大宮の返歌 〜ただ今見ても かえって袖を涙で濡らしております。 垣根も荒れはてて 母親に先立たれてしまった撫子(若君)なので 【第9帖 葵 あおい】 ただ…
草枯れの 籬《まがき》に残る 撫子を 別れし秋の 形見とぞ見る (葵の上の母の)宮様に 竜胆や撫子の花を添えて by 源氏の君 〜草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を 秋に死に別れたお方の形見のように思って見ています。 【第9帖 葵 あおい】 ただ一…
見し人の 雨となりにし 雲井さへ いとど時雨《しぐれ》に かきくらす頃 葵の上を偲ぶ 源氏と中将‥ 中将の歌に答えて by 源氏の君 〜愛した妻が雲となり雨となってしまった空までが ますます時雨で暗くなり 私も泣き暮らしている今日この頃です。 【第9帖 葵…
雨となり しぐるる空の 浮き雲を いづれの方と分《わ》きてながめん 妻を亡くした源氏、妹を亡くした中将 が語り合う。 悲しみの中の中将の歌 〜妹が時雨となって降る空の浮雲を どちらの方向の雲と眺め分けようか 【第9帖 葵 あおい】 「相逢相失両如夢《…
とまる身も 消えしも同じ 露の世に 心置くらん ほどぞはかなき 六条御息所の慰問の手紙に対しての返歌 by 源氏の君 〜生き残った者(源氏の君)も 死んだ者(葵の上)も同じことです。 露のように はかない世に 心の執着を残して置くことはむなしいことです…
人の世を 哀れときくも 露けきに おくるる露を 思ひこそやれ 〜人の世の無常を この菊の花の聞くにつけ涙がこぼれます。 先立たれなさった貴方は、 どんなにか涙にくれていらっしゃるかとお察しいたします。 【第9帖 葵 あおい】 夜は帳台の中へ一人で寝た…
のぼりぬる 煙はそれと分かねども なべて雲井の 哀れなるかな 愛娘を失い 悲嘆に暮れる大臣を見るに忍びなくて 車中から空を眺めて思った源氏の歌 〜空に上った煙は 雲と混ざり合ってそれと区別がつかないけれど おしなべて どの雲もしみじみと眺められるこ…
歎《なげ》きわび空に乱るるわが魂《たま》を 結びとめてよ下がひの褄《つま》 突然 葵の様子が変わり六条御息所の姿になった。 葵上に乗り移った御息所の歌 〜悲しみに堪えかねて身体から抜け出たわたしの魂を 貴方の手で、したがいの褄つま(着物の下前の…
あさみにや 人は下《お》り立つ わが方《かた》は 身もそぼつまで 深きこひぢを 六条御息所の「袖濡るる‥」の歌の返事 源氏は直接お返事がしたかったとも伝える。 〜袖しか濡れないとは浅い所にお立ちだからでしょう わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い泥(…
袖《そで》濡《ぬ》るる こひぢとかつは 知りながら 下《お》り立つ田子の 自《みづか》らぞ憂《う》き 源氏の例の上手な口実だとわかっていながら書いた 六条御息所の返事 〜袖が濡れる恋の路と知っているのに、 泥の中に踏み込む農民のように踏み込んでし…
かざしける 心ぞ仇《あだ》に思ほゆる 八十氏《やそうぢ》人に なべてあふひを 〜たくさんの人々に誰彼となく靡くものですから その葵をかざしているあなたの心心こそ 当てにならないものと思いますよ。 【第9帖 葵 あおい】 今日も町には隙間《すきま》なく…
くやしくも 挿《かざ》しけるかな 名のみして 人だのめなる 草葉ばかりを 祭りの日に源氏に場所を譲る源典侍 源氏からのそっけない歌への返歌 〜ああ悔しい、 葵の祭り‥逢う日と 当てに楽しみにしていたのに。 期待を抱かせるだけの草葉に過ぎないのですか。…
はかなしや 人のかざせる あふひ故《ゆゑ》 神のしるしの 今日を待ちける 祭りの日 源氏の車に 場所を譲る源典侍(げんないしのすけ)の歌 〜あら情けなや、 他の方が葵をかざして乗り合わせているとは。 神の許す今日の機会を待ちわびていましたのに。 【第…
千尋とも いかでか知らん 定めなく 満ち干《ひ》る潮の のどけからぬに 紫の姫君の髪そぎをした源氏 その時の海松房(みるぶさ)の歌に対する姫君の返歌 〜千尋も深い愛情を誓われてもどうして分りましょう 潮は 満ちたり引いたり定めがありません。 あなた…
はかりなき 千尋の底の海松房《みるぶさ》の 生《お》ひ行く末は われのみぞ見ん 紫の姫君の髪そぎの折の源氏の君の歌 〜限りなく深い千尋の海の底に生える海松のように 豊かに成長してゆく黒髪は わたしだけが見るとしましょう。 【第9帖 葵 あおい】 きれ…
影をのみ みたらし川の つれなさに 身のうきほどぞ いとど知らるる 葵祭の日☘️源氏の君は 六条御息所の存在に気がつかない。 哀しみの中の 御息所の歌 〜今日の御禊にお姿をちらりと見たばかり‥ 影をうつしただけで流れ去ってしまうみたらし川のつれなさに、…
鈴虫の 声の限りを 尽くしても 長き夜飽かず 降る涙かな 鈴虫のように声の限りをつくして泣いても、 秋の夜長にいつはてるとも知れず、しきりにこぼれる涙であることよ。 桐壺帝きりつぼていの使いで、亡き桐壺更衣きりつぼのこういの母をみまった 靭負命婦…