見ても思ふ 見ぬはたいかに 歎《なげ》くらん
こや世の人の 惑ふてふ闇《やみ》
〜御子をご覧になる藤壺の宮様も物思いに沈んでいらっしゃいます。
若宮をご覧にならない源氏の君もまた どんなにかお嘆きのことでしょう。
これが世にいう親心の闇というものでしょうか
【第7帖 紅葉賀】
新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。
自然にその日が参るのではございませんか」
と答えていたが、
無言で二人が読み合っている心が別にあった。
口で言うべきことではないから、
そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。
「いかさまに 昔結べる 契りにて
この世にかかる 中の隔てぞ
わからない、わからない」
とも源氏は言うのである。
命婦は宮の御|煩悶《はんもん》をよく知っていて、
それだけ告げるのが
恋の仲介《なかだち》をした者の義務だと思った。
「見ても思ふ 見ぬはたいかに 歎《なげ》くらん
こや世の人の 惑ふてふ闇《やみ》
どちらも同じほどお気の毒だと思います」
と命婦は言った。
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