いはけなき 鶴《たづ》の一声聞きしより
葦間《あしま》になづむ 船ぞえならぬ
若紫の祖母 北山の尼君に by 源氏の君🌹
〜あどけない 幼い鶴のような(姫君)の
一声を聞いてからというもの、
私は 葦の間を進みあぐねている舟のように、
言うに言われぬ思いです。
🪷第5帖 若紫🪷
「それは姫君は何もご存じなしに、もうお寝《やす》みになっていまして」
女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、
「お祖母《ばあ》様、
あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。
なぜ御覧にならないの」
と女王は言った。
女房たちは困ってしまった。
「静かにあそばせよ」 と言っていた。
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」
自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。
源氏はおもしろく思って聞いていたが、
女房たちの困りきったふうが気の毒になって、
聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。
子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、
けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。
翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。
例のように小さくしたほうの手紙には、
『いはけなき 鶴《たづ》の一声聞きしより
葦間《あしま》になづむ 船ぞえならぬ』
いつまでも一人の人を対象にして考えているのですよ。
わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字も
みごとなものであったから、
そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。
源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。
お見舞いくださいました本人は、
今日も危いようでございまして、
ただ今から皆で山の寺へ移ってまいるところでございます。
かたじけないお見舞いのお礼は
この世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。
というのである。
秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、
せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが
濃くなっていくばかりの源氏であった。
「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が
思い出されて恋しいとともに、
引き取って幻滅を感じるのではないかと
危《あや》ぶむ心も源氏にはあった。
『手に摘みて いつしかも見ん 紫の根に
通ひける 野辺《のべ》の若草』
このころの源氏の歌である。
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