惜しからぬ 命に代へて 目の前の
別れをしばし とどめてしがな
と夫人は言う。
それが真実の心の叫びであろうと思うと、
立って行けない源氏であったが、
夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って
別れて行った。
道すがらも夫人の面影が目に見えて、
源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。
日の長いころであったし、
追い風でもあって午後四時ごろに
源氏の一行は須磨に着いた。
旅をしたことのない源氏には、
心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。
大江殿という所は
荒廃していて松だけが昔の名残《なごり》のものらしく立っていた。
唐国《からくに》に 名を残しける 人よりも
ゆくへ知られぬ 家居《いへゐ》をやせん
と源氏は口ずさまれた。
渚《なぎさ》へ寄る波が
すぐにまた帰る波になるのをながめて、
「いとどしく過ぎ行く方の恋しきに
うらやましくも帰る波かな」
これも源氏の口に上った。
だれも知った業平朝臣《なりひらあそん》の古歌であるが、
感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。
来たほうを見ると山々が遠く霞《かす》んでいて、
三千里外の旅を歌って、
櫂《かい》の雫《しずく》に泣いた詩の境地にいる気もした。
【源氏物語 第十二帖 須磨(すま)】
朧月夜との仲が発覚し、追いつめられた光源氏は
後見する東宮に累が及ばないよう、
自ら須磨への退去を決意する。
東宮や女君たちには別れの文を送り、
一人残してゆく紫の上には領地や財産をすべて託した。
須磨へ発つ直前、桐壺帝の御陵に参拝したところ、
生前の父帝の幻がはっきり目の前に現れ、
源氏は悲しみを新たにする。
須磨の侘び住まいで、
源氏は都の人々と便りを交わしたり
絵を描いたりしつつ、淋しい日々を送る。
つれづれの物語に明石の君の噂を聞き、
また都から頭中将がはるばる訪ねてきて、
一時の再会を喜び合った。
やがて三月上巳の日、
海辺で祓えを執り行った矢先に
恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、
源氏一行は皆恐怖におののいた。
🌊🎼悲しみに沈む written by lei 🌊
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