ふりすてて今日は行くとも鈴鹿《すずか》川
八十瀬《やそせ》の波に袖は濡れじや
〜わたしを振り捨てて今日は旅立って行かれるが、
鈴鹿川の多くの瀬の波に
袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか。
【第10帖 賢木 さかき】
斎宮は十四でおありになった。
きれいな方である上に
錦繍《きんしゅう》に包まれておいでになったから、
この世界の女人《にょにん》とも見えないほどお美しかった。
斎王の美に御心《みこころ》を打たれながら、
別れの御櫛《みぐし》を髪に挿《さ》してお与えになる時、
帝《みかど》は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで
悄然《しょうぜん》としておしまいになった。
式の終わるのを八省院《はっしょういん》の前に待っている
斎宮の女房たちの乗った車から見える袖の色の美しさも
今度は特に目を引いた。
若い殿上役人が寄って行って、
個人個人の別れを惜しんでいた。
暗くなってから行列は動いて、
二条から洞院《とういん》の大路《おおじ》を折れる所に
二条の院はあるのであったから、
源氏は身にしむ思いをしながら、
榊《さかき》に歌を挿《さ》して送った。
ふりすてて今日は行くとも鈴鹿《すずか》川
八十瀬《やそせ》の波に袖は濡れじや
その時はもう暗くもあったし、
あわただしくもあったので、
翌日 逢坂山《おうさかやま》の向こうから
御息所の返事は来たのである。
鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず
伊勢までたれか 思ひおこせん
簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。
優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。
霧が濃くかかっていて、
身にしむ秋の夜明けの空をながめて、
源氏は、
行くかたを ながめもやらん この秋は
逢坂山を 霧な隔てそ
こんな歌を口ずさんでいた。
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