万葉集より📗
穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)の歌一首
わが命(いのち)し真幸(まさき)くあらばまたも見む
志賀の大津(おほつ)に寄する白波(しらなみ)
私の命が無事であったならまた見たいものです。この志賀の大津に寄せる白波を。
万葉の時代から、志賀、大津の名前があります。
⬆︎リンクより
天智天皇は、その6年(667)、斉明天皇の御時から都を置かれていた飛鳥岡本宮より、近江大津宮に都を移されました。
それまでの多くの都が置かれた飛鳥近辺から離れたこの地ですが、ひとつには、大化の改新の理想に基づいた政治改革を行うために人心の一新を図ることを目的とされました。
それとともに、同盟国であった百済への援軍を出して唐・新羅連合軍と戦った、4年前の白村江での敗戦後、本土侵攻への危機が深刻になったことから、国土防衛の根幹として、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したものと考えられています。
わずか5年半の都ではありますが、大津にはたくさんの史跡があります。
何よりも、豊かな自然、母なる琵琶湖の美しさは四季折々 様々な顔を見せてくれます🌟
大津の素晴らしさを綴ってまいりたいと思います🌸